【ラベンダーとターメリックとインドのお母さん】
【ラベンダーとターメリックとインドのお母さん】
冷戦時代。西ドイツでの出来事。
5?6歳の記憶にしては、
本当によく覚えている。
それは、いつも香りと共に。
外国人専用マンションの裏庭には、
ラベンダーがたくさん咲いていた。
そして、
ラベンダーの茂みに顔を埋めては、
香りを楽しみ、蜂の羽音を真似て、
唇を震わせて歌いながら、
面白く、蜂の機嫌に耳をそば立てた。
時々、大家さんに怒られないようにして、
ラベンダーを一本二本、
そっと、家に持ち帰った。
それをドライにしては、よく、
紫色のつぶつぶを潰して遊んだ。
指が青色に塗られて、
爪の間は紫色に染まり。
寝る前にクンクンすると、
まだ、ほんのりと香っている。
それを忘れて目を擦ると、
沁みてとても痛い、笑。
よく失敗していたものだった。
☆☆☆
ラベンダーのあるマンションの裏庭で、
インド人のお友達とたくさん遊んだ。
インド人の姉弟は、カレーのような
独特で、とても不思議な匂いがした。
ターメリックだ。
そして、時々不思議な、とても
甘い食べ物を持ってきてくれて、
一緒に仲良く食べたのだ。
インド人家族の、お母さんは
とても若く見え、とても美しかった。
インドが、ラマダン=断食の時。
お父さんと小さい息子はね、
時々、卵をコッソリ食べるのよ。
体力がなくなっちゃうから。
でも、わたしとお姉ちゃんは、
頑張ってお水だけなのよ。
お腹すかないの?
というわたしの問いに、
もちろん、とても空くのよー!!
だからね、
断食明けがとても楽しみなの。
ミルクを飲むのよ。
と、優しく笑いながら教えてくれた。
そのキッチンには、
おでこがターメリックで
ほんのりと黄色くなった、
小さなガネーシャの置かれた
小さな祭壇があった。
わたしも、そんな祭壇に憧れ、
自分が母になったら、
ぜひ家に、作りたいと思った。
☆☆☆
あの頃の記憶で、
どうしても思い出せないのは。
この頃、わたしは一体、
何語で喋っていたのか、ということだ。
わたしのドイツ語は本当に乏しく、
まだまだ、日本語しか話せなかった。
それに、インド人のお母さんは
ヒンズーもしくは英語だったはず。。
そう、みんな共通の言語は、
持っていなかった。
なのに。
これだけはっきりと、会話として
鮮明に覚えている。
それは、
心で会話をしていたからだと、
今になって、理解し、
深く感動してしまうのだった。
目を観て、心で話す。
言葉よりも、雄弁に、
たくさんのことを感じたあの頃。
きっと、インド人のお母さんは、
わたしとの会話に、一生懸命だったろう。
表情も豊かに、目がキラキラと
いつも、輝いていたことも
よく覚えているから。
とても、優しい人だった。
わたしは大好きだった。
☆☆☆
言葉は。
エネルギーを含み合わせて、
言霊となる。
だが、言葉よりもずっと先に、
心がある。
心は、自由で、時空を超えて、
どこまでも広がるのだ。
あの頃の自分や、出会いと別れに、
また逢いたい。
瞬間の一期一会に、
感謝を届けるために。
☆☆☆
写真は、貴船神社奥宮。
この地の先人たちも、きっと、
心の自由さを知っていたのだろう。
過去も未来もなく、祈りが
万物へと届けられるように、
ちゃんと、仕組みを残してくれた。
目には見えない、
その地に存在する豊かな山の生命たち。
もう戻らない過去へも、
二度とは出逢えない縁へも
わたしも祈りを届ける。
みんなが幸せでありますように。
ありがとう。
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